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コラム

No.15 合理的配慮の矛盾と文科省の回答

まずはじめに、合理的配慮とは何なのか? について解説します。

と、その前に…
『まずはじめに』っておかしいですよね。
同意語が重複している時点で、厳密には間違った日本語です。
『教科日本語』によって美しい日本語を追求している鳥栖市民が、『腹痛が痛い』と同レベルの重ね言葉を使ってしまうなんて!
大変申し訳ないです。
でもね、間違いは誰にだってあるわけですよ。
間違えたら素直に認めて、さっさと訂正すればいいだけなのです。
それが被害を拡大させないためのスマートな方法なのです。
というわけで改めて…

まず、合理的配慮とは何なのか? について解説します。

合理的配慮とは

合理的配慮とは、文科省のウェブサイトによると、『障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。』と定義されています。

ちなみに、合理的配慮の提供に関しては、障害者差別解消法の施行によって、公的機関では完全義務化されています。
市役所や県立図書館など、公的機関にもいろいろなものありますが、ここでは公立学校を例に、合理的配慮についてわかりやすく解説してみます。

学校の中での合理的配慮とは、障害のある子どもが、みんなと同じように学習に参加できるよう、教室内の環境調整をしたり、サポートツールを使用できるようにするなど、ちょっとした創意工夫をすることです。
これは特別支援とは大きく異なり、一般的で公正な手段でなければなりません。
誰ひとり児童生徒を排除せず、多様性を肯定する学習環境の中では、ある子にとっては眼鏡が必要だし、ある子にとっては松葉杖が必要だし、ある子にとってはタブレット PC が必要なわけです。
このように、サポートツールをうまく使いましょうとか、机の配列を柔軟に変えましょうなどといった普通の配慮のことを、法的拘束力を持つ場合に限っては、なぜかおおげさに『合理的配慮』と呼んでいます。
法的拘束力のもとに行われる、事務的・業務的な配慮なんて意味ないやろっ! と思うかたもいるかもしれません。
たしかに、それはすでに純粋な思いやりではないかもしれませんが、そうでもしなければ、障害のある子ども達に公正な学習環境を提供することができない状況であるともいえます。

勘違いしてはいけないのが、障害のある児童生徒から合理的配慮の要望があった場合、学校側はその配慮を実施するのが大前提だということです。
実施が難しいと思われる場合であっても、あらゆる手段を使い、創造力を駆使して、さまざまな可能性や代替案を模索しなければなりません。
学校側に過度の負担がかかるような方法を除いては万策尽きた、という結論に至った場合に限り、実施しないという苦渋の選択をできるということです。

ところが、多くの保護者の声を聞いていると、合理的配慮は実施されないのが大前提であり、時間をかけていくつもの困難を乗り越えながら、学校にありったけの感謝と謝罪の気持ちを表明し、その他もろもろの溢れんばかりの敬意を払い続けることで、ありがた~く頂戴できるような、まるで聖杯戦争を勝ち抜いた者しか手にできない、人知を超えた聖杯レベルの存在であるかのようです。
それって、学校も保護者も、合理的配慮のことを単なる『特別扱い』としか認識できていないということですよね。
これは非常に残念なことです。
いまだに合理的配慮を『提供する』ことを『許可する』などと言っている学校もありそうで、おーこわいこわい。

ただ、保護者側にとっては朗報もあります。
実施できるかできないかの争点に関して、一石を投じる大問題が存在するからです。

合理的配慮の定義にある矛盾点

ここからが本題です。
以前書いたコラム『鳥栖市が目指すインクルーシブ教育』の中で指摘したように、合理的配慮の定義には大きな矛盾点があります。

もう一度、合理的配慮の定義を確認してみると…
『障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。』となっています。
合理的配慮の不提供に関する争点となる部分は、最後の『均衡を失した又は過度の負担を課さないもの』という部分です。
この部分、肯定形と否定形が入り混じっていて、日本語としておかしいですよね。
本来なら、『均衡を失しない又は過度の負担を課さないもの』となるはずです。
つまり、『授業に集中できるよう、学校のグラウンドにジェットコースターを設置してほしい』といった合理的配慮の要望をする場合、均衡を失したものであることは明らかであり、これが正当な要望になってしまうということです。
これに対して学校側は、『ジェットコースターの設置は均衡を失しないものだ!』といったトンデモ主張で対抗するか、『ジェットコースターの設置は過度の負担である!』という正当な主張で対抗するしかありません。
そうなると、今度はジェットコースターは均衡を失しているのか、それとも過度の負担なのか、という論点のずれた切ないディベート大会に陥る恐れがあります。

この問題を、文科省はどのように切り抜けるつもりなのでしょうか。

文科省に電話してみました

この矛盾点に対して、文科省がどのような対策を講じるつもりなのかが気になります。
そこで、半年に1回ぐらい経験するような、不安を伴うドキドキ感をかみしめつつ、思い切って文科省に電話をかけてみました。
合理的配慮に関する担当部署である、初等中等教育局特別支援教育課に内線をつないでもらうと、感じのいい女性職員が対応してくれました。

さっそく上記の件について、文科省としての対応を単刀直入に聞いてみることに。
すると、最初は何を言っているのかわからないといった感じの反応でした。
そりゃそうでしょうね、いきなりこんな電話が来るとは思わないでしょうから…
ところがその後、上司と思われる男性職員と電話の向こうで相談している最中に、おそらく男性職員のほうが矛盾点に気が付いたようで、あからさまにあたふたした対応になりました。
何とかこの場を切り抜けようとしている会話の内容がこちらにまる聞こえで、何ともいえない罪悪感が湧いてきます。
せめて保留機能を使い、8ビット感あふれるクラシック曲でも強制的に聴かせてくれれば… と思いつつも、この電話によって女性職員が窮地に追いやられているような気がして、それどころではありません。
僕としてはクレームの電話をしたつもりは全く無いのですが、『質問=批判』などと捉えがちな日本人特有の倫理観により、そのように判断された可能性もあります。
この際、クレーマーでもモンスターペアレントでも、何に認定されても構わないので、この場をうまく収めるための打開策を、僕が提示しなければなりません。
そこで、この電話で早急に回答してもらうことはひとまず避け、内容を精査したうえでメールにて回答してもらうようにお願いしてみました。
すると、女性職員も少しホッとした反応をみせていたので助かりました。
最後にリアルにおじぎをしながら、電話の『切』ボタンを人差し指で入念に押しました。
メッチャ… ドキドキしました。
電話の向こうの人を慌てさせるというのは、こちらにも精神的ダメージがかなりあります。
そして、この矛盾点を文科省に気付かせてしまったことが、ほんとうに良かったのだろうか… と、自問自答することになったのです。

文科省からの回答

翌日、文科省から以下の内容のメールが届いたので、回答部分のみ引用させていただきます。

お問い合わせのありました「合理的配慮」につきまして、以下のとおり回答いたします。

平成18年に国連において、障害者の人権及び基本的自由の享有を確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進するための包括的かつ総合的な国際条約である「障害者の権利に関する条約(以下「権利条約」という。)」が採択されました。

権利条約第2条において、「合理的配慮」は、「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と定義されています。

権利条約における合理的配慮の定義を踏まえ、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(平成25年法律第65号。)」は、行政機関等及び事業者に対し、その事務・事業を行うに当たり、個々の場面において、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、社会的障壁の除去の実施について、必要かつ合理的な配慮(以下「合理的配慮」という。)を行うことを求めています。

文部科学省においては、平成25年6月28日に各都道府県や指定都市教育委員会等に対して通知「障害を理由とする差別の解消に関する法律(以下、「法」という。)の公布について」を発出し、法第7条において、行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障害の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならないことを周知したところであり、学校に対しては、本通知で依頼していることから、教育委員会等を通じて周知されているものと理解しております。

なお、権利条約の日本語訳につきましては、外務省にお尋ねくださるようよろしくお願いします。

丁寧に対応していただきありがとうございます!
夜の19時過ぎにメールが届いていたことから、この質問への対応のために担当職員に残業させてしまったのであれば申し訳ないです。

さて、長文での解説には心から感謝しているのですが、記載されている内容はすべて知っていることであり、僕の質問の回答になっている箇所といえば『権利条約の日本語訳につきましては、外務省にお尋ねくださるようよろしくお願いします。』
という最後の一文だけでした。

なるほど、責任の所在は外務省にあると言いたいようですね。

合理的配慮の定義の和文に関しては、文科省のサイトに掲載された文章と外務省のサイトに掲載された文章には若干の違いがあります(平等を基礎として~の部分)。
いただいた回答メールの定義に関しては、外務省のサイトから引用しているあたりが、まさに責任の所在が外務省にあるというニュアンスがスマートに表現されているようで、さすが仕事ができる人間は違うなぁ~と感心させられます。

ちなみに、今回の問い合わせをしたのは2020年1月16日なので、その時点で文科省は矛盾点を認知できています。
ところが、約11か月経った今でも、これに関するアナウンスが何も無いことからも、この矛盾点に関しては何も問題無い(文科省としては)と判断しているのかもしれませんね。

ただ、これも電話にて指摘させていただいたのですが、ぜひ考えていただきたかったことは、この矛盾によって起こりうる問題についてであり、僕が個人的に何かを解決したいわけではないのです。

僕が心配していることというのは、文科省のウェブサイトにある『資料3:合理的配慮について』や『参考資料19:合理的配慮について』に矛盾を抱える合理的配慮の定義が掲載してあることの影響力についてです。

晒しあげるようなことになっては困るので、あえて掲載はしませんが、上記のページを『障害のある学生支援に関する基本方針』などとして堂々と引用している学校は山のようにあります。
この矛盾によって、児童や生徒や学生や保護者が、どんな願いも叶える聖杯として、合理的配慮を超絶活用するようになった場合、学校現場はどうなってしまうのでしょうか…

この問題の解決策

まずはじめに、これだけは言っておこうと思います。
この問題って、ただ、やっちまっただけです。
やっちまったのであれば、さっさと訂正することが、被害を拡大させないためのスマートな方法でしょう。

やっちまったのが誰なのかを追求しても無意味です。
やっちまった定義をウェブサイトに掲載している文科省もやっちまってるし、文科省のページから引用して掲載している、全国の教育委員会や大学や高校や中学校や小学校や幼稚園もやっちまってるわけです。
誰もが深く考えることなく、そこにあるものは正しいものだと勘違いしている時点で、みんな仲良くやっちまってるわけで、なかなかかわいいじゃないですか。

さて、僕ができることはここまでです。

このくだらないけど微妙に問題のある間違いを解決するつもりがあるのであれば、ぜひ、文科省は権利条約の日本語訳について外務省にお尋ねくださるようよろしくお願いします。

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