太郎システム

コラム

No.03 太郎の就学先について

いやぁ、長い道のりでしたが…
太郎の就学先を、特別支援学校に決めました。

主な理由としては、
●文科省の通常の学習指導要領に縛られず、独自にカリキュラムを組むことができること。
●プログラミングやアートの専門書など、好きな本を教科書にすることができること。
●将来を見据えて、実践的な学習課題に取り組むことができること。
などが挙げられます。
特別支援学校は、見方を変えれば、本人の得意なことや好きなことを極めるための、専門学校として利用できるというわけです。

とある特別支援学校の担当者と話をして、まず驚いたのは、現在の特別支援学校のキャリア教育では、園芸や木工や接客方法を学び、事業所が求める人物像の枠に収まるよう職業訓練をしていくのが、唯一無二の取り組みになっているということです。
ついつい「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」と鈴木雅之が頭の中でリフレインしました。
キャリア教育というものが、『将来、社会的・職業的に自立し、社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現するための力』を養うことを目的としているのであれば、もっと個性に応じた多様な学び方があっていいはずです。
その多様な学びを保障するものが、日本も批准している、国連の障害者権利条約で、第24条 教育 1(b)には、『障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。』とあり、まさにこの1文に全てが表現されているといえます。
もっと言えば、養護学校から特別支援学校へ、特殊教育から特別支援教育への転換がなされ、『幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め~』と掲げる部分にも、また明確に表現されているわけです。
つまり、本来の特別支援教育とは、発達に凸凹のある児童の凹の部分をできるだけ底上げしようとする一面もあるものの、明らかに才能の突出している凸の部分を究極まで高めようという狙いも含まれる教育なのです。
いわゆる、2E教育とか、ギフテッド教育と呼ばれるものです。
とは言っても、ギフテッド教育は日本の公的教育では行われていないため(先月、渋谷区で初めて導入されましたが)、特別支援学校の制度をうまく活用することで、それを実践していこうというのが僕の考えです。
ちなみに、ギフテッド教育というのは、天から授かったギフト(才能)を、最大限活用してみればいいんじゃね? 的な教育方法のことです。

本場の米国でも、ギフテッド教育は贅沢なことであり、平等性に欠けるため、廃止すべきだという議論も昔はあったようですが、現在はその重要性が見直されています。
なぜなら、それぞれの特化した才能の部分を究極まで尖らせることができれば、将来イノベーションを起こすような人間になる可能性が高くなるからです。
例えば今後10年間で、ギフテッド教育を行なう児童が仮に百万人いるとして、その中から、ビル・ゲイツのような人がひとりでも誕生すれば、日本は救われます。
ギフテッド教育を、日本を輝かせるための未来への投資と考えれば、早急に取り組むべき国家事業だとも言えます。
考えてもみてください、日本や世界でイノベーションを起こしてきた人物の名前を挙げてみると、揃いも揃ってみんな仲良くアスペルガーであり、現状の特別支援の対象になりうるタイプの人達ではないですか。

では、具体的にどのような教育をしていくのか、ということですが…
認知的スキルの教育は学校の先生にまかせるとして、非認知的スキルを高める部分は、僕が大きく関わっていくことになります。
具体的には、アクティブラーニング化された日常生活に加えて、プログラミングとアートを中心に学習…じゃなくて遊ぶ予定です。
なぜプログラミングとアートなのかと言うと、太郎が最も熱中しているものであると同時に、僕が子どもに教えられることが、プログラミングとアートしかないという単純な理由です。
ただ、10年後や20年後、人工知能やロボット技術の加速度的な発達によって、より人間が人間らしさを求め、誰もが哲学者になろうとするとき、きっとこの能力は大きな力になるはずです。
もちろん未来がどうなるかは誰にもわからないので、人工知能が創造力までも手に入れ、自らプログラミングまでやってのけるかもしれませんが、その時はまた別の事に興味が向いているでしょう。

目標が決まればあとは簡単で、例えば1年生時から、授業はパソコンを開いた状態で受けることを提案しています。
これまでの暗記型教育の価値が消滅する中、情報機器は体の一部であり、未来のAI機器でさえも、自分の能力の一部に含まれるものとして使いこなすことが前提です。
そして自分の考えを、あらゆる方法で芸術的に、美しく表現できる手段を身に付けさせることに重点を置きます。
校外での活動では、基本的には自然の中で遊ぶことに徹したいですね。
ボーイスカウト的なことやサバゲーなどです。
僕もそろそろ水鉄砲を卒業して、BB弾で遊んでみたいと思っていたところなので、ちょうど良いタイミングです。
あとは適当に何かに熱中して、脳の神経細胞をせっせと絡ませてもらえればそれでいいです。
そういうことを続けていたら、10年後には、きっと突き抜けたオタクになっていることでしょう。

突き抜けた才能の基礎力を固めるために取り組むべきこと、それは、時間は無限に存在するものだと勘違いしている時期に、朝から晩まで好きなことに熱中させることです。
24時間365日、寝ても覚めてもそのことが頭から離れないほど熱中できるものがあり、それを周囲の価値観によって邪魔されることが無ければ、目標は自然に成し遂げられるでしょう。
太郎の場合は、現時点ではそれがプログラミングとアート、またはそのどちらかというだけのことです。

ちなみに、2校の特別支援学校を見学に行ったのですが、どちらの学校からも、「そのような理由で特別支援学校を選んだ人は今までいませんが…」と言われました。
ほほう、それならば僕が(というか太郎が)最初のペンギンになろうではありませんか。
このようなことを熱心に語ったりすると、普通の学校の先生からは、「あ…この親、アスペルガーっぽい…」などと思われるでしょう。
いや、確かにアスペルガーなのかもしれないのですが、まぁそれはいいとして…
就学先として決めた方の特別支援学校の先生は、僕の考えを熱心に聴いてくださり、肯定的に受け止めてくれていたので、心底うれしかったです。
そういうわけで、非公認ではあるものの、公的教育機関でのギフテッド教育は佐賀県初の試みとなりそうです。
僕にとってはもちろん初めてのチャレンジですが、先生方にとっても初めてのチャレンジとなる部分も多いため、あまり学校の負担にならないような工夫をしなければなりません。
そもそも教育の全てを学校にアウトソーシングしている現在の価値観には以前から違和感を持っているので、先生方にはサポートしていただくというかたちで、僕が自分の持てる力の多くを注いでいくつもりでいます。
この取り組みによって学校に蓄積されるノウハウは、きっと今後のギフテッド教育(の実施がもしあれば)や ICT 教育にとっても、役立つものになると確信しています。

いよいよ2020年には、小学校の学習指導要領が大きく変わります。
というか、この50年間、ほとんど変わらない学習指導要領を使い続けていることの方が驚きですが…
でも、ここにきてようやく、健全な学校教育が実現できるのではないかと期待しています。
今までの偏差値教育というか、他人と比べてナンボという、相対的にしか物事の価値を見出せないような考え方では、世界には通用しません。
人は人、自分は自分なんだからと、ある程度割りきって、絶対的な視点から何かを極めるという考え方に、できるだけ早く切り替えたほうがいいと思います。
すでにグーグルなどの大手IT企業がそうであるように、テストの成績が採用基準とはならない会社が、今後ますます増えていくのは目に見えているわけなので。
テストで良い成績を取ることだけに最適化された、劣化版人工知能のような人間が、答えの無いような問題に直面した時、ワクワクした気持ちで立ち向かって行けるのか? という素朴でおちゃめな疑問を持ってしまうのは僕だけではないでしょう。

そういうわけで、現在の公立の学校現場は、未来へ向けて教育改革の真っ只中にあります。
太郎が3年生時に、もし通常学級の教育が魅力的なものになっているのであれば、つまり、暗記型教育からの価値の転換がスムーズにできているのであれば、もちろん転学も視野には入れています。
さらに12年後ともなれば、大学のあり方も大きく変わっているわけで、アドミッションズ・オフィスという、オタクに最適な選抜システムが主流になっていることでしょう。
つまり、小さい頃から自分の好きなことに没頭して結果を残しておけば、東大でも京大でもハーバード大でも、好きなところで研究を続けられるわけです。
その頃には、自分が何をして生きるべきなのか、ということが、ある程度は見えているはずです。
本人にとって大学での研究に興味が無いなら、中学卒業してすぐに起業してもいいし、山篭りの画家を目指してもいいし、七三分けをして普通のサラリーマンをしてもいいし…
ある程度の道筋は作るけど、それから先の力の使い方は、自分の好きなようにやってもらえればそれが一番です。
そのためには、なにはさておき、まずはプログラミングとアートに熱中して、それらを楽しんでもらいたいわけですね。

さて、なんとなく宣言してしまった以上、僕は適当ながらもまじめに取り組んでいくつもりです。
まずは教育用アプリケーションの制作を早急に進めているところですが…
佐賀県は、昨年の教育システムからの個人情報流出事件(17歳の少年プログラマーによるクラッキング)により、校内での外部機器のネット接続を禁止しています。
リスクを恐れ、ICT 後進県になってしまったわけです。アチャー
というわけで、クラウドなんかに頼らないゾ!全て独自開発のスタンドアロンでやっていくゾ!
と心に固く誓い、今日も地道にアプリ制作です。

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