太郎システム

コラム

No.04 太郎の未来予想図II

太郎の将来の生き方を考えたとき、何でもいいから好きなことを極めて、それを仕事にすればいいじゃん、と以前は思っていました。
もちろん今でもその考えに変わりは無いのですが、20年後の未来を予測しながら、"何を好きになるか"を、親が少しだけコントロールする必要があるのではないか、とも思っています。

20年後の未来は、どんな世界になっているでしょうか。
未来のことなんて、未来になってみなければわかるはずが無い!
…その通りです。
未来がどうなるかなんて、誰にもわかりません。
でも、自分なりに予測することはできるはずです。
そこで、僕が偉大なる預言者『太郎のパパダムス』になり、20年後の未来を、明るく楽しくノー天気に生きる方法について、あれこれ考えてみたいと思います。

まずは20年後の社会がどうなっているかを予測するために、過去20年間の社会変化に注目してみます。
過去20年間で、世の中に最も影響を与え、社会構造を大きく変化させてきたもの…
それは、IT 技術の発達(IT 革命)ではないでしょうか。
IT 技術の発達により、斬新なアイディアから多くのイノベーションが起き、世の中が圧倒的に便利で豊かになりました。
20年前と今では、働き方や遊び方など、人間の生き方や価値観そのものまで大きく変わっています。
現在のシリコンバレーを見ればわかる通り、人と違ったアイディアや創造力をテクノロジーにぶち込むだけで、巨大な価値を生み出せる時代へと変貌したのです。
控えめに言って、変人にとって最高の時代が到来したわけです。

ところが、イノベーションが起こるということは、いいことばかりではありません。
それによって、一時的に仕事を失う人も出ます。
例えば、グーグルが誕生したことにより、世界の知識に誰もがアクセスできるようになり、知識や情報量だけを売りにしていた商品や職業の価値が無くなりました。
アマゾンが誕生すれば、町の本屋さんが無くなったり、さまざまなジャンルの実店舗が経営危機に陥りました。
今後はさらに、人工知能などのテクノロジーが加速度的に発達し、人間より圧倒的に優れた知能・知性を持ったロボットが、社会の中でめちゃんこ活躍する時代が来るでしょう。
そうなると、これまで以上に多くの失業者が出ることになります。
つまり、20年後の未来は、人工知能やロボットが人間の仕事を奪い、多くの失業者で溢れる、人間にとって不幸な社会になってしまうのでしょうか。
現在の情報だけから判断すると、確かにそのような側面もあるかもしれませんが、それがイコール『悪』とは言い切れないと思います。
実際のところ、IT 革命により失業した人であっても、バレンタインチョコをもらう方法をネットで猛烈に検索したり、グーグルマップを超絶活用して秘境駅を目指したり、アマゾンで好きなアニメの DVD を爆買いしているのです。しかも当日配達で!
これって、確実に社会全体が豊かになっている証拠であり、社会全体が豊かにならないようなことを、社会全体が受け入れるはずがありません。
人間の倫理観が未来の社会を作っていく以上、20年後の未来は、確実に豊かで幸せな社会になっているはず(戦争などがおこらなければ)であり、その状況を当たり前のものとして生活しているはずだと僕は思います。

では、そのような未来において、自分の能力を最大限発揮し、自分らしく生きるためにはどうすればよいのでしょうか。
最初にも書いたように、好きなことを極めることが最も重要になってくるのですが、それが将来的に価値(需要)のあるものかどうかを見極める必要があります。
未来においての価値というものは、AI やロボットなどのテクノロジーに置き換えられるものではなく、人間にしかできないもの、と考えて差し支えないでしょう。
例えば、『英語』を例に考えてみます。
仮に太郎が英語に興味を持ち、圧倒的な英語力を身に付け、将来は英語を活用した仕事(通訳や翻訳など)に就くことを目標に掲げたとします。
10年後や20年後に、その夢は叶っているでしょうか。
昨年、『グーグル翻訳』がディープラーニングを導入して、自然で違和感の無い翻訳結果を出力できるようになったことが話題を呼びましたが、AI による翻訳技術の進化には凄まじいものがあります。
早ければ、ここ5年以内には、情報伝達という目的において、ほとんどタイムラグの無いイメージ通りの通訳が可能になるかもしれません。
つまり、人間以上に正確でスピーディーな通訳機能を、誰もが無料で自由に使いこなす日常が来る可能性があります。
そうなれば、英語などの外国語の通訳や翻訳を仕事にしている人のほとんどは失業することになります。
社会全体として考えれば、言語の壁が無いすばらしい社会の到来は喜ばしいことですが、その仕事に従事している一部の人達は、一時的に苦労を強いられるでしょう。
そのような未来が来る可能性がある中で、通訳者や翻訳者になることだけを目標にしてがんばり続けるのはリスクが高いです。
特に、アスペルガー特性を持っている人の場合、ただでさえひとつのことに没頭する傾向があるので、"何に夢中になって取り組むべきか"の見極めは重要になってきます。
その見極めをするためには、ある程度の『IT リテラシー』を身に付け、テクノロジーの動向に注目しておく必要があると思います。
そうすることで、20年後の未来に、何が花形の職業になっているのか…
まではわかりませんが(そもそも、現存する職業ではない可能性も高いので)、テクノロジーに置き換わるであろう職業の目星はつきます。
つまり、太郎がもし通訳の仕事をしたいと言い出しても、僕は何らかの巧妙な罠を仕掛けて、他のことに興味・関心が向くよう、少しだけコントロールするでしょう。
そうやって、未来で価値のある可能性が高い能力を獲得できるよう、太郎が熱中できる対象を、段階的にプログラミングしておくことが、親としての僕の役割のひとつだろうと思っています。

ちなみに、英語を勉強することに意味が無いと言っているわけではなく、それを仕事にするのが難しい未来が来るというだけです。
TED のような場で、自分の考えを豊かな表現力で世界に発信する際など、英語力を自己表現のためのツールのひとつとして習得しておくことや、英語を学ぶプロセス自体には意味があると思っています。

そのような状況であるにもかかわらず、なぜか文科省は今後の英語教育に力を入れるようで、2020年からは小学3年生から必修化、小学5年生からは教科として授業を実施します。
これって、社会人がスマホなどのデバイスを駆使して問題解決に挑んでいるのに対して、なぜか教育の現場では、身一つで暗記勝負しなければならないというバツゲームのような現状と同じであり、そこはテクノロジーの出番でしょ! と言いたくなります。
しばらくは20世紀型教育が続きそうな予感がすることも、特別支援学校を選択した理由のひとつなので、太郎にとっては全く関係無い話ではあるのですが。
ちなみに、英語の必修化は、正確には『外国語活動』であり、特別支援学校の学習指導要領にも組み込まれてはいます。
もちろん実施しなくても OK という自由度の高いシステムにはなっているのですが、太郎には『外国語活動』の時間を有効に使い、プログラミング言語(一応、外国語でしょ?)に取り組ませることを、ひそかに企んでいます。

さて、結局何が言いたかったのかというと…
最初にも書いたように、特にアスペルガー特性の人は、好きなことをどんどん極めて、それを仕事にすればいいのは間違いないのですが、将来衰退する可能性の高い職業は避けておいたほうが無難(必ずそうだとは言い切れないのですが)ですよ、ということです。
そして、たとえどんな未来が来たとしても、その時の状況を楽しみ、自分らしく生きることができるよう、早急に21世紀型教育への切り替えを実施することは、あたりまえだのクラッカーなのです。
学校が実施できないのであれば、親が実施すればよいだけで、答えの無い問いに立ち向かっていく力は、これからの子ども達だけではなく、現在の大人にこそ早急に必要な能力なのかもしれませんね。

そのような前提で、僕は太郎の未来予想図 II(I が何だったかはもう忘れた)を思い描いているのです。

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