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コラム

No.05 不登校って素晴らしい!

先日、九州国立博物館で開催されている『印象派展』に、太郎と2人で行ってきました。
この展覧会、実は出品目録がかなりすごいことになっていて…
こんな作品や

こんな作品が目白押しです。

上記2作品だけは、写真撮影 OK とのことで、こういう来場者サービスはありがたいですね。
ゴッホ、ルノワール、ドラクロワ、ドガ、セザンヌ、モネ、マネ…
印象派(といっていいのか微妙な画家もいますが)の有名画家ばかりの作品を集め、しかもほとんどの作品が、美術の本などで見たことあるような代表作ばかりです。
一般ウケするという意味においては、間違いなく来て良かった! と思えるような展示内容になっています。
ちょっと驚いたのは、これぞ印象派だなぁという空の描写に心を奪われながら会場を歩いていると、いきなりピカソの壮大な作品が出現したことでしょうか。
すかさず「アンタ、キュビズムじゃねーの?」とツッコミを入れます。
実は『印象派展』というタイトルになっているものの、今回展示されている作品は、全てひとりのコレクターが所有するものであることを後から知りました。
そのコレクターが、印象派の作品を多く所有していることから、『印象派展』と名付けたというわけですね。
きっとキュレーターの間では、「印象派展にしちゃったけど、せっかくピカソの作品もあることだしぃ、ちゃっかり展示しちゃう? しちゃわない? しちゃうー!」 という感じのやりとりがあったのではないかと想像しています。

数々の作品を目の前にして、太郎がどのように感じたのかはわかりませんが、僕は結構テンションが上がりました。
もう2度と触れることは無いだろうと思っていた油彩道具を、家の倉庫の奥から引っ張り出さなければと、強く思ったほどです(実際には引っ張り出していませんが…)。
これからも、太郎には、おもしろい美術作品にできるだけ多く触れる機会を作っていきたいと思っています。


さて、実はここからが本題です。

今回の『印象派展』には、平日の朝一番に行きました。
なぜなら、土日は来場者が多すぎて、まともに作品鑑賞できないため、平日以外の選択肢は無いのです。
当然のことながら、太郎には学校を休んでもらいました。
子どもにとって、そのタイミングでなければ体験できない魅力的な学びはたくさんあるわけで、それが登校日と重なるのであれば、学校を積極的に欠席するのがセオリーでしょう。
これは、ホームスクーリングと同じ考え方ですね。
ところが、ホームスクーリングのように、学校とは別の場所で学ぶという教育方法を、教育委員会は基本的に認めていません。
教育委員会は、学校での学びこそが最上で崇高で究極で至高なるものであり、テクノロジーによるシンギュラリティが迫る中で、未来を生きる力を与えられる唯一の教育環境であると勘違いしているようです。
そもそも、教育委員会が認めるとか認めないという話はどうでもよくて、子ども達が最良の学びを享受できること、熱中できることであれば、それをどんどんやらせるべきだと僕は思っています。

このような書き方をすると、僕が教育委員会をディスっているのではないかと思われるかもしれませんが、そんなことは一切ありません。
どちらかといえば、教育委員会を尊敬しているのです。
教育委員会の言葉が机上の空論であったとしても、全ての子どもにより良い教育を受けてもらいたいという信念だけは本物のはずの、正義の組織だと思っています。
ひょっとすると、子ども達を多少犠牲にしてでも、教員を守ることのほうが大事だという本音があるかもしれないけど無いかもしれないという、正義の組織だと思っています。
時々、小学生が同級生に150万円搾取されても、おごってもらっただけであり『いじめとは認定できない』と言っちゃう時もあるけど、正義の組織だと思っています。
そんな正義の組織である教育委員会を、僕は尊敬しているような気がしているといえばしているような気がしているといえばしているのです。
ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、社会とかけ離れた常識の中で運営されているような気がしてならないのが残念です。
常識が全く通じない僕が言うのもおかしな話ですが。

そんな正義の組織である教育委員会が言うには、年間30日以上学校を欠席した児童には、『不登校』の称号を与える(理由にもよる)システムになっているそうです。
つまり今回のように、学校を休んで他の場所で学ぶということを、あと29回繰り返したら、めでたく不登校というラベリングを一方的にされるわけです。
いいじゃないですか、不登校!
繰り返しますが、そのタイミングでなければ体験できない学びというものはたくさんあります。
学校以外の場所で、より良い教育を実施したことへの賞賛という意味での不登校認定なら喜ばしいことだと思いませんか?
この調子で行けば、太郎が不登校の称号をもらえる日も、そう遠くないかもしれないですね。
その記念すべき日に、僕がサラダ記念日風のオリジナルポエムを朗読している姿までもが目に浮かびます。

いずれにしても、子ども達が落ち着いて学習に取り組める環境整備は重要で、単なる学力向上のみに着目するのであれば、自宅でEラーニングをするのが一番でしょう。
インターネットでの動画配信技術が無かった時代なら話は別ですが、今は民間のEラーニングのほうが、効率良く学力向上できます。
これから先も、時間も空間も学び方までも制限される『教室』という環境の中で、知識の伝授を目的とする授業をメインでやり続けるのであれば、日本全国で一斉授業を行なっている教師の人件費って、全て無駄ですよね。
それに早く気付いて、教師はファシリテーションに徹するという役割にシフトしなければ、ホームスクーリング的な学び方に、学校教育が永遠に追いつくことはできないでしょう。

大人の1年に比べて、子どもの1年は超貴重です。
スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル貴重です。
ルー大紫風に言うなら、そのベリーベリー貴重なタイムを、黒板とノートのミラーリングゲームに消費させるのはノーサンキュー! なのです。

これから先も、必要であれば、積極的に学校を欠席し、太郎に魅力的な学びの機会を提供していくつもりであることは、言うまでもありません。

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