太郎システム

コラム

No.06 初めての夏休みに思うこと

就学すると、容赦なく訪れるのが『夏休み』という名の長期休暇、いや、デストピアです。
太郎の場合、昨年度までは保育園に通っていたので、『夏休み』の存在を意識することはなかったのですが、今年度はそういうわけにもいきません。
すでに特別支援学校の小学部1年生として、人生で初めての夏休みを過ごしている真っ只中なのです。
そしてやはりと言うべきか、いろいろな困りごとが発生しました。
そんな困りごとと向き合う中で、僕なりの気付きや驚きや心境の変化などもあり、これはアウトプットせずにはいられないぞ! となったのです。

そこで、今回のコラムでは、太郎の夏休みの過ごし方と、僕の現在の心境について書いてみたいと思います。

太郎に最適な居場所づくりのために

発達障害など、特性の強い子どもがいる家庭では、夏休みをどうやって乗り切るかで頭を悩ませることが多いそうです。
特に両親が共働きの家庭では、夏休みなどの長期休暇(または放課後)の際、自宅以外で過ごすための居場所づくりをどうするかで悩むことが多いのではないでしょうか。

夏休みに突入する前には、太郎の居場所づくりについても、少しだけ吟味してみました。
太郎の場合は、どこで過ごすかというより、どのように過ごすかということの方が重要だと感じています。
そこで、僕が考える夏休みの理想的な過ごし方として、『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』を重要視することにしていました。
なので、それらを提供できるかどうかを基準にしながら、居場所についても考えてみました。

学童保育で過ごす

学童保育とは、学齢期の児童が自立するための成長支援・健全育成を実践する場であると同時に、保護者が安心して就労・介護・病気治療等を継続するためにも重要な事業とされています。
正式名称は『放課後児童健全育成事業』と言うらしいのですが、『放課後児童クラブ』とか、『なかよし会』とか、いろいろな呼び名があります。
施設自体が学校に併設されていたりもするので、送迎などの面から考えると便利そうだなぁとは思っていました。
ただし、スタッフが教員免許や看護士資格を持っていますなど、僕にとってはまったく魅力を感じない方向からのアプローチをしているところが多く、基本的には画一的なルールによる管理体制の中で、時間だけを浪費してしまう可能性があります(宿題をしながら時間が過ぎるのを待つなどは、僕にとっては時間の浪費です)。
モンテッソーリやってますとか、シュタイナーやってますとか、イエナプランやってますとか、創造性と主体性を育める環境になっているのであれば、ぜひとも利用したいところなのですが、残念ながらそのような環境にはなっていないようです。
つまり、『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』ができない可能性が高いため、学童保育は利用しないことにしました。

放課後等デイサービスで過ごす

夏休みに入る前から、周囲の人達に薦められていたのが、『放課後等デイサービス』の利用です。
放課後等デイサービスとは、障害のある児童生徒が、放課後や学校休業日に通うことのできる、療育機能・居場所機能を備えた福祉サービスのことです。
実は、放課後等デイサービスのガイドラインには、『保護者支援』という項目もあり、『保護者の時間を保障するために、ケアを一時的に代行する支援を行うこと』とも明記されています。
つまり、保護者の時間的負担を軽減させるための目的としても、積極的に活用できる制度です。
事業所によっては、放課後に学校まで子どもを迎えに行き、療育後に自宅まで送ってくれたり、夏休みなどの長期休暇の際には、丸1日子どもを預かってくれたりもします。
このように時間的負担の軽減は、保護者の精神的または肉体的負担の軽減にも繋がるでしょう。
制度として障害児のみを対象としていることや、民間の事業者が参入できることもあり、学童保育と比べると療育内容の自由度が高く、バラエティに富んでいることも多いです。
ただし、療育を目的としているため、画一的なルールによる管理体制になることは仕方が無いでしょう。
つまり、『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』ができない可能性が高いため、『保護者支援』という目的での放課後等デイサービスは利用しないことにしました。

自宅で過ごす

僕としては、できるだけ避けたいのですが、やはりこれしかないのか…
結論から書くと、太郎の夏休みは、自宅を中心として過ごすことにしました。
夏休みにしかできないことといえば、僕と常に一緒にいることです。
僕と一緒に過ごす時間こそが、太郎にとっては、さまざまな発見と創造の機会となり、もっともクリエイティブな時間を過ごすことができるであろう自負もあります。
自宅で過ごすという選択であれば、『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』の両方が高レベルで実現できそうだと判断したのです。

ただし、親の立場から言わせてもらえば、問題点は山ほどあります。
僕のように自宅で仕事をしている人間にとっては、太郎が金魚の糞のようにまとわりついてくることが、どれだけ面倒なことか容易に想像がつくわけです。
それでも、太郎が『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』に重点を置いて夏休みを過ごせるのであれば、きっとこれはベストな選択であるはずです。

そのような確信を持って、いよいよ初めての夏休みがスタートしたのですが…

夏休みがスタートしたものの…

夏休みのスタート直後から、いろいろなことにチャレンジしてみました。
その結果、太郎は夏休みを満喫しているようでしたが、僕は案の定、夏休みに疲弊しました。

例えば、どんなことに疲弊したのかというと…
ルパンレンジャー vs パトレンジャーのショーに連れて行った際は、僕が子ども以上に声援を送り続けなければならないし…
ブラックシンカリオンを購入したはいいものの、中間車両が動力車であるという事実を知り、他のシンカリオンにも動力車を移植して走行実験を繰り返さなければならないし…
水圧シリンダーで動くロボットアームを一緒に作ろうとしたものの、あまりにも難易度が高すぎて、結局僕がひとりで徹夜して作ったために、持病の腰痛が悪化するし…
遊園地のスカイサイクルでは、脅威の走行性能を見せるためにペダルを漕ぎ過ぎて(太郎は一切漕がないので)、膝の調子が悪化するし…
プールへ遊びに行ったら、僕の方がはしゃぎすぎて、低血糖に陥るし…
プログラミング道場へ行った際には、僕の方が熱中してアニメーション作りに取り組む始末…

もうね、太郎のせいで、ほんとに何もする時間が無い状態です。
これはマジで困りました。
自宅で一緒に過ごすことこそが、太郎にとってベストな選択であり、そのためなら多少の問題は問題では無いという考えは、夢物語だったのか…
結局、学童保育や放課後等デイサービスを利用するのが正解だったのか…
心の葛藤はしばらく続きました。

これぞクリエイティブ!

そんなある日、疲弊しきった僕は、太郎にこう言いました。
「パパはパソコンやってるから、太郎はひとりで好きなことをして遊んでね。」と。
僕は仕事に集中するために、太郎に遊びを与えることを、一時的に放棄してみたのです。
そしてその罪悪感を誤魔化すため、「太郎よ、ひとり遊びが得意って、すばらしい才能なんだよ!」とも付け加えておきました。
これにより、太郎は究極に暇な時間を過ごすことになったのです。

その結果、どのような現象が起こったでしょう…
横目で太郎の様子を確認してみると、不思議なことに、自分なりにいろいろなおもちゃを探し出し、それらを組み合わせ、創意工夫しながら熱中して遊んでいるではないですか!
もう飽きたと思っていた昔のオモチャが再び活躍していたり、今まで興味を示さなかったような本も取り出して読んでいるではないですか!
これぞまさに、クリエイティビティ溢れる過ごし方ではないですか!
結果オーライではありますが、僕はこれを求めていたのです。
そういえば、僕が子どもの頃にも、ひとりでお留守番をする日が多く、究極に暇な時間を過ごしていたのを思い出しました。
そんな暇な時間の中で、ずっと絵を描きながら、いろいろな妄想をして遊んでいた記憶が、なんとなく今の太郎の姿と重なります。

特に自閉傾向のある子どもの場合、自分の世界観の中でさまざまな妄想を繰り広げ、独創的な世界観を作り上げていくことは、未来を生きるための能力となります。
それは、スケジュールをびっしり詰め込んで、親のものさしで楽しいと思える遊びを与え続けるだけでは、育むことのできない能力です。
誰の介入も許さない、自分だけの自由な世界の中で、自ら考え、自ら遊びを作り出すということは、主体性と創造性の塊であり、究極に暇な時間の中からしか生まれにくいものだということが、今はっきりとわかります。
もちろん、さまざまな体験を与えることも大事なので、そのバランスをうまくとりながら、僕自身の時間的な負担軽減にも繋がっていけばいいなぁと思います。

何はともあれ、太郎に『今しか体験できないこと』と『クリエイティブに過ごすこと』を与えることができているという実感はあります。
夏休みはもうすぐ終わりを迎えますが、スタート直後の頃と比べると、僕の心境にはさまざまな変化がありました。
「太郎よ、今しかないこの貴重な時間を、クリエイティブに過ごしてね!」と、「 パパは、チンプイの DVD BOX を観るから、しばらく話しかけないでね!」は両立するのです。

夏休みってすばらしいですね!

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