太郎システム

コラム

No.19 地域の子ども達との6年間の思い出とかほにゃらら

太郎が小学校に入学すると同時にスタートした「放課後子ども教室」ですが、太郎が中学校に進学するこのタイミングで終了することにしました。
今回は、この教室での思い出とかほにゃららを振り返ってみたいと思います。

放課後子ども教室について

この教室は、地域の小学生が放課後の時間を使い、さまざまな体験ができるよう、まちづくり推進センターが実施している講座のひとつです。
僕が担当する教室のコンセプトをざっくり説明すると、僕が気の向くままに何かをやるので、子ども達は適当に何かを学んで帰ってね! といった感じです。
2018年度にスタートした時には、2年後のプログラミング教育必修化を見据えて、Scratch でプログラムを組んで、アニメーション制作やゲーム制作に取り組んでみました。
その後は、グラフィックデザインっぽい内容も取り入れ、画像編集ソフトでオリジナルプリクラを作ったり、レイヤーを使った写真合成をやってみたりもしました。
ラストの2年間は太郎も参加することができ、マインクラフトを使ったバーチャル空間の中で、みんなで協力してミッションをクリアしたり、目的が何も無い中で何かをしたりしました。
子ども達は毎回楽しそうにしてくれていたので、きっとそれぞれに何か得るものがあったのではないかと思うものの、なにせ計測することができないので実際のところはよくわかりません。
でも、それでいいんです。
繰り返すようですが、僕の目的は体験を提供することであり、子ども達の多様な能力の中のごく一部分だけをムキになって計測し続けるペーパーテスト対策(笑)的なことをするつもりは一切無いので、これでいいんです。
子ども達に点数や順位をつけて評価したがる大人って結構いるんですけど、「私の人間としての価値はこの紙オンリーですハイ!キリッ」と自らの人生観を自信満々に公言してる状態なわけで、それはそれで別にかまわないのですが、それってなんかこう、ん-なんだろう、超ダサくないですか?
不老長寿の薬があるならまだしも、大人達が見ることのできない未来を見ることができるという、とんでもない能力を持っている子ども達に対して、ほとんど強制的に取り組ませているものが、ペーパーテスト対策(笑)って…
それって、良好な親子関係を壊してまでムキになって取り組むべきものですか?
それって、子どもが興味関心のおもむくままに伸ばせるはずの才能を捨ててまでムキになって取り組むべきものですか?
それって… 大人のみなさん、自分の人生楽しんでますか!?

…おっとっと、なんか話が脱線してきたので、ひとまず戻しましょう。
結局、子ども達が得た学びについてはよくわかりませんが、こうして6年間の出来事を思い返してみると、僕自身がさまざまな知見を得られた貴重な時間だったことを改めて実感しているのです。

僕にとっての教室とは

クリエイティブ系の仕事をしている人間にとっては、未知なるアイディアや遊び心は非常に重要なものであり、それらを日常的に学べる機会はそう多くありません。
例えば、常識を心得た立派な大人と会話をしても、そこから何ひとつ得られる学びはありません。
ところが、天下無双の小学生と一緒に何かをしていると、常識を打ち破るアイディアを次から次に出してくれるので、さまざまな学びを得ることができます。
しかもアイディア勝負ともなれば、僕にとっても絶対に負けられない戦いです。
小学生が繰り出すクリティカルなアルティメット・アイディアに対抗するには、常識とは異なる角度で対抗策を模索するしかなく、結果的に新たな思考方法を発見できたりもします。
このようなスキルは、自分ひとりで努力し続けても獲得できるものではないので、僕にとっては本当に貴重な体験といえます。
もともとは子ども達のためにと思ってスタートした「放課後子ども教室」でしたが、最終的には「僕の中にイノベーションを起こすための教室」になっていたことは間違いありません。

運営コストとリターンについて

教室の運営コストに対して、それに見合ったリターンを得られたかどうかについても触れておきましょう。
結論から言うと、間違いなく大きなリターンが得られました。
コストが特に大きかったのは、マイクラをやった最後の2年間ですが、全員分のタブレット PC やアプリやルーターを購入するのに30万円ほどかかっています。
このコストに対するリターンですが、まずは前述の通り、僕が得られた創造的体験だけでも十分に元はとれています。
ただ、今回はそれだけではありません。
なんといってもラスト2年間は、マイクラ大好きな太郎も参加していることが大きなポイントです。
5・6年生の2年間という貴重な期間に、ある意味、太郎専用コミュニティを運営できたと考えれば、それだけでも完全に30万円以上の価値があります。
特別支援学校に通う太郎と地域の学校の子ども達をまぜこぜにしたインクルージョンな環境を、大好きなマイクラを通して実現できたわけで、太郎にとっては地域の子ども達との距離を縮めたり、理解するための良い機会になりました。
また、偶然にも太郎は地域の中学校に進学することにしたので、この2年間で顔見知りになった子ども達との関係性が、今後何らかのかたちで生きてくる可能性は大いにあります。
誰も顔見知りのいない謎の学校に行くとなれば、それはもう「魁!!男塾」のような絶望的な世界を連想しそうになります。
ところが、深い関係性ではないにしろ、顔見知りが何人かいる学校となれば、それだけでかなり安心感があるはずです。
この教室を続けてきたことが、太郎の中学進学というステップにも役立つとは、想像もしていなかった大きなリターンだといえるでしょう。

他にもこんなことありました

思い返せば、他にもいろいろな事がありました。
僕は中学2年頃から精神年齢がほとんど発達していないという自覚はあるのですが、それでも小学生から明確に中二病に認定されたことは、僕に勇気と希望を与えてくれました。

また、今の僕は、子どもの頃に思い描いていた理想の大人になることができたのだろうか? と過去を振り返り、今を見つめ直す機会ももらうことができました。

他にも、太郎が人生をかけて追及するべきものや、将来の選択肢の幅を狭めるために何をやるべきで何をやらないべきかを、ある程度決定することもできました。

これらは、この教室をやっていたからこそ感じられたことであり、決定できたことです。
子ども達の創造性を育むことにかかわるという、重要な役割である放課後子ども教室の担当講師を、よくもまぁ適当なノリで引き受けたな! っと6年前の自分を褒めてあげたい気分です。

行政に願うこと

なぜかはわかりませんが、教室に来ている子どもの保護者から、毎年同じような要望をもらいました。
それは、「有料でもいいので開催回数を増やしてほしい!」というものです。
わざわざ要望を伝えに来てくれることは本当にうれしいし、教室をやってよかったと実感できる瞬間でもあります。
ただ、諸事情によりその要望に応えることができなかったのは残念なところではあります。
僕の自慢の頭脳でピコピコ分析した結果によると、わざわざ僕を訪ねてきてくれる保護者がいるということは、同じような要望を抱いている保護者は他にもいたかもしれないし、そもそも教室の存在を知らない人の中にも、そのような要望を抱く可能性のある保護者は潜在的にいるのではないかと思います。
となると、小学生を対象にした、ITスキルやプログラミングやSTEAM教育を実施する教室への需要は、それなりにあるような気がします。
僕は今年度から太郎と一緒に中学校のステージに行かなければならないので、この教室を続けることはできませんが、誰か同じような教室(無料でも有料でも)を運営できる人が近所にいればいいなと思っているのです。
僕の場合は、以前からまちづくり推進センターとの繋がりがあったことで教室運営の依頼が来ましたが、まちづくりに関係する人物と何らかの繋がりがなければ、そういう話が出ることも無いはずです。
同じ地区や町内に住んでいても、誰がどんな仕事をしているかとか、どんな趣味を持っているかということは、意外と知らないですからね。
子ども達の育成に地域の力を借りようといったスローガンがあったりもしますが、地域にいる人の専門的な力を発掘して活用することは、わりと難しい状況にあるのが事実です。
そもそも、まちづくり推進センターがサービスを提供する対象は、地区の小学生と高齢者であり、それ以外の年齢層の人達が日常的にセンターを利用することがほぼ無いという状況を自ら作り出しているようなものです。
これでは、人と人との繋がりが広がっていかないし、もったいないです。
せめて中学生や高校生向けの主催講座を県や市が主導して実施するか、実施しやすい制度設計にしてもらえればと切に願います。
そうすれば、僕も中高生向けの教室をできるかもしれないし、他にも専門性を持った人達が参加してくれるかもしれず、可能性はいろいろと広がっていくと思います。

子ども達のその後など

教室に通ってくれた子どもたちが、その後どうしているかについては、はっきり言ってどうでもいいのですが、時々気になったりもします。
例えば、2018年度に来てくれたM君を例に挙げても、いろいろなエピソードが思い出されます。
そんな思い出の一部を少しだけ紹介したいと思います。

M君は、Scratch でアニメーションを作る際に、自転車を運転するキャラを焼き鳥にしました。
それを見た他の児童が「そんなことありえない!」と言ったので、すぐさま僕が「この発想がいいんだよ!」と言いました。
するとM君の顔の表情が一瞬でパッと変わり、目をキラキラと輝かせながら、しばらく画面を見つめていました。
たった一言で、こんなにも自信に満ちた表情を引き出すことができたのか… と、何より僕自身が一番驚きました。
それと同時に、M君のありのままを肯定してくれる環境が周囲にあるのだろうかと心配にもなりました。
あの時のM君の表情を、僕は一生忘れないでしょう。
そういえばM君のお母さんからも、有料でパソコンの塾を開いてもらえないかと相談を受けました。
M君が能力を発揮できる場所を日ごろから探していたのかもしれませんね。
確かに、自由な環境でものづくりなどをすれば、M君はのびのびと能力を発揮できるだろうと思うのですが、教室の開催頻度を増やすというのは、結局最後まで実現することはできなかったわけで、本当に申し訳ないです。
M君は友達をたくさん作れる豪快なキャラに見えるわりに、周囲が思っているよりも明らかに感受性が敏感で、学校の評価システムの中では傷つくことも多いのではないかと思うのです。
公教育の幅が広がり、子ども達が、自ら学ぶ環境を自由に選べるようになれば、今ある学校の問題のほとんどは解決すると思うんですよね。
とにかく個人に変化を求めるのではなく、環境側が柔軟に変化できるような仕組み作りを早急に進めてもらいたいですね。
そうですよね、教育委員会さん!

教室以外でも、M君に出会う機会がありました。
同じ年度の9月ごろに、中学校区の小学校が合同で主催する、特別支援の大きなイベントに太郎と一緒に参加したのですが、そこにM君も参加していたのです。
太郎は特別支援学校の1年生で、M君は地域の学校の6年生でした。
イベント内では、学校単位でグループが分かれているにもかかわらず、M君はいつもの調子で「こっちのグループに入りなよ!」と言って僕と太郎を自分のグループに誘い入れようとしました。
もちろんそんな勝手が許されるはずもなく、先生にこっぴどく叱られていたのですが、あの時のM君の気持ちがすごくうれしかったんですよね。

M君が中学生の時にも、公園でばったり会いました。
その日は、太郎の弟の次郎(重度知的障害をともなう重度自閉症)を連れて公園で遊んでいたのですが、予想通り次郎が公園の池(というかほぼ沼)に飛び込んで遊んでしまいました。
一通り泥だらけになった後、公園の水道で手を洗っていると、少し離れたところに、5人ぐらいの高校生らしきグループと一緒にいるM君を発見したのです。
このグループを観察したところ、どう好意的に見ても外見やしゃべり方が絵に描いたような不良グループなんですよね。
あっもちろん人を見た目やしゃべり方で判断してはいけません。
このグループがM君を大切に思っているかどうかは、その関係性を観察してみる必要があるでしょう。
僕は空気を読むのが can not なタイプなので、今までと同じノリで「M君、元気にしてるゥ~?」と声をかけてみました。
すると、グループの中のひとりがM君に「なん?知り合い?」と訪ねていて、それに対してM君は「え…あ…うん…」と明らかに微妙な返事をしているじゃないですか。
たとえグループのメンバーが仏のようにいい人達ばかりだったとしても、M君にとって居心地の悪い状況であることは間違いありません。
もちろん僕の主観でしかないのですが、一方的な上下関係による過剰な圧力があるように感じられたし、何よりM君自身が楽しそうではなかったのが気がかりです。
普通であれば学校で授業をやっている時間帯だったので、みんなで学校をサボって公園に遊びに来ている可能性が高いのですが、もしそうであれば、本来ならメチャメチャ楽しいはずなんですけどね…
僕は泥まみれの次郎を連れて、どうやって家まで帰ろうかという大問題に直面していたため、M君とはここで別れることになったのですが、結局「M君、元気にしてるゥ~?」への答えは聞けないままでした。
M君の居場所は、たぶんそこじゃないんだよなぁ… と思いつつ、その後もM君のことがずっと気になっていました。

そして時は少しだけ流れ、M君が高校生になった時に、またもや再開する機会が訪れました。
ちょうどマイクラの教室を終えて、車に道具を片付けていた際に、まちづくり推進センターのグラウンドでM君を発見したのです。
今回は、同年代の仲が良さそうな友達と2人だけでバスケをやっていて、とても楽しそうにしていました。
前回のことが少し頭をよぎったのですが、僕は空気を読むのが very good なタイプなので、今までと同じノリで「M君、元気にしてるゥ~?」と声をかけてみました。
すると、前回とは打って変わって「あっ先生!」と言って駆け寄ってきてくれました。
その後は、M君のマシンガントークがさく裂して、高校で Scratch を使った授業をやったことや、あの時に教室で経験したことが役に立ったことなど、僕に気を使ったお世辞のような話までしてくれました。
そして最後に「また声かけてください!」と言って、友達と2人で軽く会釈をしながら去っていきました。
もうね、心配していた気持ちが一気に吹き飛んで、M君、良い友達に恵まれて本当に良かったねぇ~! としみじみ思いました。
そういえば、今回も「M君、元気にしてるゥ~?」への答えは聞けなかったけど、明らかに元気そうでしたね。
さて、次はいつ、どんなシチュエーションで会えるのでしょうか。
10年後か、20年後か、はたまた50年後かわかりませんが、とにかくまた会える日を楽しみにしています。

最後に

そんな感じで、子供向けの教室を運営するって、なかなか楽しそうでしょ?
M君以外にも、東方プロジェクトにすべてを賭けている子や、ゲームのバグや裏技をありえないほど高頻度で見つけ出す子など、とにかく個性の光る子ども達がたくさんいて、本当に楽しかったです。
人生の中でも、このような経験をできる機会はなかなかないと思うので、僕は幸運です。

さて、教室での思い出とかほにゃららを振り返ることで、何をしたかったのかというと、一言でいえば「僕は幸運です!」ということを自慢したかっただけですね。
というわけで、僕の自慢話に最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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